東海道五十三次
沼津宿


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伊賀越え道中双六・沼津の段
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  東海道53次 沼津宿 浮世絵 歌川広重 傍示抗(石)     
 
 鍵屋の辻の決闘(1634) 
 浮世絵でみる東海道の古今 沼津宿

                          〜伊賀越え道中双六・沼津の段〜

 
   岡山藩の藩士・渡辺数馬が義兄・荒木又衛門の助太刀を得て弟・源太夫の敵、河合股五郎を伊賀上野・鍵屋の辻で討つ、日本三大敵討の一つ伊賀越道中双六・沼津の段。浮世絵を参考に考えてみます。


 敵役・河合股五郎を九州相良まで逃がす手助けをすることになった呉服屋重兵衛は、実は孤児で自分の出生については何も知らなかった。

この絵は沼津まで来た呉服屋重兵衛。
画題・原の脇に、重兵衛の荷物と妙薬の入った印籠が描かれている。
  <三代豊国画  役者見立東海道五十三駅 原・呉服屋重兵衛> 
   
   重兵衛が股五郎を追って沼津までやって来た時、平作に「荷物を担がせてくれ。」と頼まれた。場所は沼津宿の入り口・棒鼻の前。棒鼻とは傍示抗(石)の立っている所で、ここから先が沼津領になります。
この絵は、遠景に傍示抗と関札が立っているので、平作が十兵衛に荷物を持たせてくれと頼んでいる場面だろう。
仕方なく重兵衛が荷物を頼んだところ、平作はヨロヨロして躓いて足を怪我してしまった。重兵衛は印籠から薬を出し付けてやるとこれが妙薬で、すぐに良くなった。

    <三代豊国画 役者見立東海道五十三駅 沼津・荷物平作>
   
  そこへ平作の娘お米がやって来た。平作が事の次第を説明すると、お米はたいそう喜んで、我家に泊ってゆくように勧めた。美しいお米に色男重兵衛は一目ぼれしてしまい、嫁にくれと言うが許婚がいると断られてしまう。
実は、お米は数馬が入れあげた吉原の花魁・瀬川であった。数馬の敵討の手伝いをするため沼津に来ていたのだ。
この絵は、呉服屋十兵衛の荷物を持つ平作と、お米に一目ぼれした十兵衛の場面。親子だと知らずにいる三人。実は股五郎を逃がす手助けをする十兵衛に対し、敵討の手伝いをする お米とその父という敵味方の関係になっている三人なのだ。
国芳の絵には木の根元に道祖神が描かれている。ここは下石田の道祖神前なのだろう。 傍示石から道祖神までは200-300m程しか離れていない。
     < 国芳画 東海道五十三対 沼津>
   
  平作の家に一泊した十兵衛は、実は平作とお米が生き別れた父と妹であることを知る。苦労している親を見て、翌朝早くお金と妙薬の入った印籠を置いて出発する。
目を覚ました平作は、十兵衛が生き別れた息子であること、十兵衛が置いていった印籠が河合股五郎の物だと知り、急ぎ十兵衛の後を追った。

この絵は、平作の家でくつろぐ兄・妹を描いているのだろう。お米は、、十兵衛が持っていた呉服を見ているのだろうか。
      <広重・三代豊国 画 双筆東海道 沼津>
   
   平作は千本松原で十兵衛に追いつき、股五郎の行き先を問いただすがなかなか教えてくれない。思い余った平作は、十兵衛の脇差をとり自分の腹に刺して頼んだ。「どうか死に逝く老人に、冥土の土産に股五郎の行き先を教えてくれ」と。十兵衛は、お米が陰で聞いているのを知りつつ、大きな声で股五郎の行き先を教えて去ってゆく。
以上が歌舞伎や人形浄瑠璃で有名な、伊賀越え道中双六・沼津ノ段なのだそうです。

この絵は、千本松原で十兵衛に問いただす平作の姿を描いているのだろう。          <芳艶画 御上洛東海道 沼津>
   
     

    ところで、兄(渡辺数馬)が弟の敵を討つのは異例のことだそうです。そして義兄・荒木又衛門(妻が数馬の姉)が義理の弟数馬を助太刀するのも異例のことなのだそうです。その為荒木又衛門は離婚し、7歳の妹と再婚して義理の弟になったとのこと。
河合股五郎を旗本・安藤次右衛門が匿ったこと、その他数々の因縁で外様大名と旗本の面子をかけた諍いに発展してしまい、その後急死してしまった藩主の遺言で敵討になったそうなのです。
とにかく凄く複雑な図式です。
かたきの居場所を命をはって聞いた平作は、人情物好きな日本人の心を捉えたのだろう。忠臣蔵、曽我兄弟と並び三大敵討ちとなっている。 平作が茶屋を営んでいたという黒瀬橋のたもとに今も平作地蔵が祭られている。
   


 

   平作地蔵

旧東海道沿い、黒瀬橋のたもとに平作地蔵がある。『伊賀超道中双六 沼津の段』という浄瑠璃で有名な、荒木又衛門が助太刀をして36人切りをした仇討ちで、仇の河合又五郎の行方を自分の命をかけて我が子十兵衛から聞き出した平作を祀った地蔵とのことだ。平作が茶屋を営んでいたという場所に建っており、現在は延命子育地蔵として信仰を集めている。