東海道五十三次
沼津宿


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江戸庶民 庶民の旅 東海道53次 浮世絵 歌川広重


      
     浮世絵でみる東海道の古今 沼津宿  
 
〜 庶民の旅 〜
戦国時代道路はほとんど整備されておらず、それぞれが独立した国のようであって、僅かに商人が行き来する程度で往来はあまり活発でなかったそうだ。諸国が統一されるに従い、特に信長や秀吉は商業の発展に努めたので人々の交通は次第に増えたそうだがそれも局地的なものであったようだ。

天下統一後、家康は街道の整備に努め東海道、中仙道、奥州街道、甲州街道、日光街道の5街道を中心に人々の行き来が増加した。幕府は5街道を直轄して宿駅制度を設け管理した。東海道は江戸から京都まで、ほぼ2里毎に宿駅が設置された。地元の名主たちには輸送用の馬と人足の用意が命ぜられ、街道の整備も負担されたが、それと引き換えに旅籠を運営することを許され、武士優先ではあったが空いている時には庶民も泊まれるようになった。

街道が整備されてからも、江戸時代前半には参勤交代の行列や藩に戻る武士、行商人が行き交うだけの仕事の旅ばかりで、物見遊山の旅が広まったのは江戸時代後期の文化文政になってからだったようだ。

宿場は問屋場が中心で、その向かいや回りに本陣、脇本陣があり、庶民が泊まれる旅籠はその周囲にあったようだ。常連の商人などが泊まる旅籠には、入り口近くに荷物を置く板の間が広くとってあり、比較的安く泊まれたが宿場の中心からは離れていたらしい。さらに木賃宿や茶屋は宿場はずれに位置していたようだ。


 人物東海道 藤川
木賃宿の前を巡礼の父娘と金毘羅行人が丁度宿に着いたところだろうか。囲炉裏を囲んで既にくつろいでいる客(置いてある荷物から六部と思われる)と女主人が、今到着して草鞋を脱いでいる旅人に話しかけている。土壁は剥がれ、床の敷物も破れて如何にもみすぼらしい 


庶民の旅は巡礼や参詣、湯治の旅に始まったそうだ。特にお伊勢参りは盛んに行われ、幕府や諸藩も朝廷を祀っているお伊勢さんを禁止できなかったようだ。


江戸時代の旅は許可が必要で、伊勢参り、金毘羅参り、善光寺参りなどの参詣の旅かこつけて、許可をもらっていたようだ。その途中で全国の名所、旧跡を回るように計画していた。

1日に歩く距離は、8〜10里が一般的であった。東海道は、125里なので、12〜13日くらいかかった。朝早く、まだ暗い内に出発して、日没前に宿に入るようにした。暗い夜道の旅は非常に危険で、追いはぎや雲助が出没した。また、早く宿について風呂に入らないと、汚れた風呂に入る羽目になってしまうからなのだ。宿代は、一泊二食付きで200文が相場だったようだ。
この時代、庶民が旅に出るのはとても大変で、自由に行くことは出来なかった。さらに危険を伴う旅は、結構覚悟が必要だったようで、今生の別れをも覚悟してのものでもあったようだ。

路銀を用立てるのも大変で、村内で講をして、代表者が旅に出たらしい。路銀のない旅人もかなりいて、街道筋の人々は食べ物を与えたりして支援したようだ。東海道五十三次之内 沼津宿 黄昏図 に描かれている巡礼の親子が手に柄杓を持っているのは、施しを受けるための物のようだ。

保永堂版 沼津 

当時の旅は、のんびりしたもので、移動することそのものが娯楽であったようで、庶民にとっては見聞を広める良い機会であったと言う。
 旅人の服装は、頭の上から陣笠、振り分け荷物、合羽、着物、羽織り、手甲、股引、脚絆、草鞋という姿が一般的だった。一方、女性の旅姿は、管笠か手ぬぐいの姉さんかぶりで、着物の裾を細紐でたくし上げ、足袋に草履が相場だったようだ。
保永堂版 戸塚
こめやの看板の架かった店は開放的であり茶店風だが、大山講中などと書かれた講中札が何枚もかかっており、旅籠のようだ。これら講中札は特約旅館であることを表しており、旅人が安心して利用できる宿なのだ。店の前で馬を下りる旅人や、一人旅の女性も丁度着いたところで菅笠を取ろうとしている。橋を渡って来る老僧は振り分け荷物を担いで、この店を目指しているのだろうか。いずれも皆旅姿をよく表している。
この時代、普段は帯刀を禁じられていた町民も道中差と呼ばれる脇差を携帯する事が許されていて、よく見ると馬を下りる旅人は脇差を差している。

保永堂版 草津・名物立場図
 草津・名物立場 には大勢の旅人が描かれている。茶店の中にはたった今入ってきたばかりの葛籠を背負った巡礼の親娘や、荷を背負った旅人が何処の席に就いたらよいかと店の様子を伺っている。店内には幾つもの縁台があり、それぞれに腰を掛けた客がおり、美味しそうに姥が餅を食べている人もいる。男も女も、皆旅人のようだ。店の前では軽尻馬に人が今まさに乗り込もうとしており、駕籠かきが客を待っている。
旅の必需品は往来手形で、庶民の旅には絶対必要だった。百姓、町人に名主や寺が発行した。一般的な携帯品には、手ぬぐい、弁当箱、薬、針、矢立、下着、扇、風呂敷、タバコ道具、ろうそく、火打石、枕などであったそうだ。

人物東海道 鳴海
旅の親子(父と娘)がタバコの火を借りているところ。父は菅笠に手甲、脚半に、草鞋履き。背に荷を背負い、腰には小銭入れの早道を付けている。

江戸時代の旅はもっぱら歩くばかりで、いわゆる東海道中膝栗毛であった。馬や籠はなかったわけではないが、一般庶民には手が出なかったであろう。朝早くからただひたすら歩くので、草鞋が何足も必要であったそうだ。なので、草鞋は軽くて丈夫なのが喜ばれたらしい。江戸時代の庶民にとって、旅は今では考えられないほど大変なものだったであろうが、それでも遠い知らない土地への憧れと希望を持って旅立ったに違いない。うわさに聞いた絶景や名物を味わい、我々が一昔前の海外旅行で経験するような感動を覚え、一回り大きな人間に育てたに違いない。

    旅立ち      

江戸時代の旅は朝が早かった。それは、旅籠に夕方早く着いて風呂が綺麗なうちに入りたいからだそうだ。

 東海道 日本橋・曙ノ図

この絵は江戸・日本橋を京方面に向けて旅立つ様子を描いている。朝が早いので皆提灯を持っている。手前の人たちは江ノ島か大山あたりに、ちょっと気軽な旅に出かけるのだろうか。弁当を持った供を連れている。橋の左側には籠で出かける人もいる。


  保永堂版 三島
朝霧に包まれる三島宿を立つ人々。馬や籠に乗った旅人はまだ眠そうで顔が見えないが、駕籠かきの仕草が滑稽だ。霧にかすんでいる巡礼たちは沼津方面に歩いてゆく。まだ暗いうちから出発するのだ。

     道中                  

 東海道名所図絵 由比
薩垂峠を行く旅人たちと富士を遠望する。よく見ると、巡礼や行商人 六部、渡世人風の人たちがいる。景勝地だが、皆黙々と歩いて行く。
乗り物                                     
 基本的には歩くたびだが、街道には籠や馬もあった。余裕のある女性や老人が使ったようだ。
 保永堂版 鳴海

松絞有を商う店が並んでいる前を、徒歩の女性と駕籠や馬に乗った女性たちが通る。みな裕福そうに見える。徒歩の女性は有松絞りに興味津々の様子で店の中に目をやっている。馬の女性は既に買い物を済ませているのだろうか、共の物に荷物を持たせている。店はどちらも豪商のようにしっかりした造りだ。有松絞りの人気が伺える。

  渡し船
    
 保永堂版 見附
天竜川には中央に洲があり、分かれていたらしい。船で客を待っているのは親子だろうか。父親はキセルをくわえ向こう岸の様子を眺めており、子供は座りながら船が流されないように竿を川底に刺している。長閑な光景だ。
 保永堂版 川崎
江戸を出て初めての大河、多摩川を渡る六郷の渡しだ。川崎大師参りの人や、行商の人たちの乗る船が川崎宿に到着するところを描いている。岸には荷を運ぶ本馬や駕籠が待っている。奥の船会所では船賃を払う旅人がいる。遠くに真っ白な富士山を望む、穏やかな日和だ。
 川渡りには船のほか、徒歩わたしがあった。
  
    様々な通行人   

特急便・継飛脚

急ぐ町飛脚

ゆっくりした飛脚

特急便 早駕籠

夜道を急ぐ駕籠客

武士の山越え

子供の三宝荒神

伊勢を目指す三宝荒神


抜け参りの子供

本馬

伊勢参詣後のほろ酔い客を見る旅人

       


振り分け荷物の旅人

 先を急ぐ商人
のんびりとした一人旅

棒手振りの行商

木の根っこで居眠り

木陰で一休み

ちょっとキセルの火を

供ずれの女旅

こわごわ絶景を見る旅人

夜鳴き石を見る旅人たち

城普請

 


ご女

巡礼

金比羅参りの行者

弟子を伴った旅の僧

六部

 俳諧の宗匠
虚無僧

雪道を急ぐ

客待の船頭

地元の人か




     
道案内
道標 石灯籠
保永堂版 戸塚
橋のたもとに石灯籠とともに、左かまくら道と書かれた道標が立っている。ここから鎌倉に行く道が分岐しているのだ。
行書版 四日市
東海道から伊勢街道に分かれるところに石灯籠があり、鳥居が立っている。

傍示抗 見付 国境
保永堂版 平塚 保永堂版 藤川 行書版 箱根
宿場境を示す傍示抗があり、その脇に高札が見える。 見付、傍示抗の前で御馬献上の一行を迎える町役人 箱根峠に伊豆の国と相模の国の国境を示す杭が建っている

街道には道案内や風除け、休憩時の木陰提供などを考慮して並木が植えられていた。並木こそ道案内の最たるもの、このまま並に沿って進めば街道なのだ!
並木 一里塚
 保永堂版 東海道 吉原
街道には道案内や風除け、休憩時の木陰提供などを考慮して並木が植えられていた。吉原の松並木では左側に富士山が見える所があり、現在も松が1本植えられている。確かに左側に富士山が見える。
   蔦屋版 東海道 関
街道沿いに大きな榎の一里塚がある。ちょうどその前を大名行列が通ってゆく。農民が一人知らん顔で牛を引いている。

    休憩所

                                                        
茶店



出茶屋
保永堂版 二川
二川の柏餅は有名だった。
 保永堂版 鞠子
とろろ汁は芭蕉の俳句でも有名。今も、そっくりな店があり、とても混んでいる。

    保永堂版 袋井
よしず張りの簡素な出茶屋は街道のあちこちにあったらしい。

道路端での休憩

江戸時代の旅人は、早朝から唯ひたすら歩いているので、さぞかし疲れたことだろう。街道には並木があるので,何処でもちょっとした木陰で一休み出来たのだ。路銀に乏しい人たちは休憩に茶店など使わずに、きっと道端で休んだに違いない。

人物東海道 土山
峠の水場で汗を拭く夫婦者。夫は着物の袖をたくし上げ草鞋に脚絆のいでたちで手拭を濡らしており、妻は夫が担いでいた行李を振り分けにした天秤棒に腰掛けて木陰でくつろいでいる。
 人物東海道 原
街道を行く旅人の脇で、切り株に腰掛けて一服している女の旅人?茅を入れた背負いかごが脇に置いてあるので村人だろうか。


 行書版 池鯉鮒

太い松の根元に背負ってきた蓆を敷いて、巡礼の夫婦がお茶を飲んでいる。実にリラックスして、旅慣れた様子だ。煙草の火を借りている人や、松の根っこを枕に昼寝している人など、ごく日常の光景なのだ!


道中の障害
 



人物東海道 亀山 保永堂版 庄野
あわてて坂道を駆け下りる旅人
急な雨で、村人たちとともに旅人も雨宿りする場所を求めて、あわてて走り出している。菅笠に廻しガッパ、脚絆に草鞋姿で雨にも備えたいでたちである。

    保永堂版 四日市
急な風に菅笠を飛ばされて慌てる旅人

     

          雪
人物東海道 水口
雪の降る中をようやく宿場に着いたところだが、
足取りも重く皆疲れ果てている様だ。

      峠越え
  人物東海道 岡部
東海道の難所とされる宇津ノ谷峠
を描いている。頑強な人足でないと
駕籠かきは勤まらない。旅人の表
情からも厳しさが伺える。


    目的地へ到着

 
 
東海道五拾三次細見図会 
日本橋
田舎道者 江戸見物 道中風俗
タイトルにもあるように、江戸見物に田舎から出てきた一行の様子。丁度日本橋に着いたところだろうか。
この絵こそは正に庶民の旅を描いている。
リーダーとおぼしき男性は風呂敷包みを背負っていて、ゴザと菅笠を付けている。これから行く目的地を指さしているのか、連れの御婆になにやら話しかけている。他の三人は、ただ黙って付いている村人で、完全に頼り切っている。
何れもその表情が見事に表されている。




宿場にて

    

旅籠の客引き
保永堂版  赤坂 人物東海道 大津

    

宿に到着
 人物東海道 赤坂
商人宿だろうか、女の一人旅の客が到着し、自分で洗い桶の水で足を洗いながら店の女となにやら話をしている。
 行書版 東海道 関
奥に大きな荷物が置いてある商人宿で、着いたばかりの馴染みの客が先客と何やら話している。店先では、はじめての客を店員が応対している。

旅籠でのくつろぎ

 人物東海道 庄野  人物東海道 吉田

    

湯治 
人物東海道 箱根
江戸時代、旅の究極は温泉。今も昔も箱根は有名。
                   





街道の様子 浮世絵コレクション