◆ 現在の様子 ◆    
      広重が描いた場所から少し北側になろうか、国道一号線沿いの沼津市浄化センター辺りにはまだ沼地が残っている。現在は、減反政策のためなのか新田開発が行われていないのであろうか。湿地と田圃とが混在しており、産業廃棄物の処理場になっている所もある。
 驚いたことに、写真を撮っていたら目の前を鶴と見間違えそうに大きなアオサギが一羽低空で飛んでいった。この辺りでは、湿原で見られるヨシゴイ、バン、オオヨシキリ、カルガモ等が今も生息しているそうだ。
 元禄時代、原宿は家の数200軒足らずで、旅籠の数も20軒しかない53次中最も小さな宿場の一つであった。
この時代、原にはこれといった産業に乏しく、浮島沼は水田にも不向きで、貧しい村であった。そのため放水路の掘削に苦労し、新田開発に努力した。